建築事例

12千本三条の家_土間

蔵や千本三条木造/2階

この地域の発展は、明治30年(1897年)京都鉄道(現JR嵯峨野線)の開通、二条駅の開発で、以後急速に市街地化されていきました。
千本三条の北東角には、明治45年に京都国技館(3500人収容)が建設され、初期は京都相撲興行、終期は映画館として使われ、周りは市がよく立っていたようです。その国技館も昭和8年には解体され、その跡地にこの町家は新築として現在の所有者の祖父が建てられ、呉服関係の悉皆業(しっかいぎょう)を始められました。
新築の床柱は、祖母が毎日おからで磨いていたと話されてました。また先代は、四条醒ヶ井で商売していた為、祇園祭の月鉾と携わっていたのでしょう、この家にいくつも感謝状等が保存されていました。その後先代ご夫婦が亡くなられ、1年ほど空き家となり、大規模改修により生まれ変わりました。
※悉皆業・・・江戸時代、大坂で染め物・洗い張りなどの注文を取り、京都の専門店に取り次ぐことを業とした者。転じて、染め物や洗い張りを職業

外観